2006/10/3~4 湯俣槍ヶ岳線(旧宮田新道)調査
今は昔、湯俣温泉から千天出合を経て千丈沢を登り詰め、西鎌尾根に出て槍ヶ岳に至る宮田新道というルートが存在した。しかし今は全く廃道になっている。かつては吊橋等もあったが、豪雨や雪崩で流され今は全く消失してしまっている。湯俣~千天出合間だけは現在も北鎌尾根のアプローチとして利用されているが、写真のような厳しい箇所の通過や渡渉を強いられ、エキスパートのみに許されるルートであるが故、ここを通過する登山者はとても少なくなってしまっている。それでは大町市としては切ないということで、この宮田新道を復活させようという動きが起った。過去2回の調査を踏まえ、今回は湯俣~千天出合間だけに絞って、より具体的な整備計画を進めるべく現地調査を行ったわけである。環境省、中信森林管理所、大町市役所の各職員と我々大町登山案内人組合の計9名で季節外れの沢登りをやってきた。数日前の雨のため水量がちょっと多めで、股近くまで水に浸かりながら10回ぐらい渡渉をしたのでだいぶ冷えてしまった。
お疲れ様でした。
前回(30年前)に手を入れたときには、釣り橋だけ直して途中に手をつけなかった。ただ、通常の道は行く度に草刈をしていたので、快適だったけど、その道も今はやぶの中になっているのでしょう。
へ釣りの個所は数箇所のはずですが、以前よりも足場が削れていて、足場の確保が大変そうですね。
この三要素で、少なくとも以前の修繕費の三倍ぐらいは必要な気がします。それだけの意味があるのかどうか疑問を感じます。
それといまどき人足は確保できるんでしょうかね。
投稿: 元湯俣の住人 | 2006年10月 5日 (木) 15:32
恐るべし水漏れ、結局、家の半分の壁、天井を変えることになりました。
懐かしくなって、昔の記録見ていたら、76年10月に千丈谷出合から北鎌登ってました。独標あたりで雪が降り始め苦労したのは覚えていますが、出合までは特に難しい箇所はありませんでした。元湯俣住人さんがたが、手を入れてくださっていたのですね。感謝。あの頃には伊藤新道という三俣蓮華へのよい道もありました。今の私でも歩けるくらい整備していただけたらやっぱり嬉しいです。
投稿: y.o | 2006年10月 6日 (金) 11:51
すみません。上記コメント、千丈谷出合は
千天出合の間違いです。
投稿: y.o | 2006年10月 6日 (金) 12:21
元湯俣の住人様
去年今年と調査に行き、僕自身も「毎年大雨が降るたびに様子が変わってしまうこんな荒れた沢をどう管理するんだ?」「このルートを復活させてどれだけの意味があるんだ?」という疑問は今も持ってます。今一度、行政側や関係各所と話し合う必要があるかもしれませんね。
y.o様
家の被害は大変なようですね。集合住宅だとそういう心配もあるのですね。
76年頃でしたら今主流になってる貧乏沢ルートなんてなく、湯俣~千天出合~北鎌沢というルートしかなかったのでよく踏まれてルートも整備されてたんですね。しかしその状態まで戻すにはかなり大変そうです。
投稿: けんた | 2006年10月 9日 (月) 19:32
沢を一つ隔てた伊藤新道も「管理」の問題で不通になったのですが、その最大の理由は、硫黄ガスです。多くある釣り橋、ザン道を固定している針金などの金物類が、一年で腐食してしまうので、こまめに手入れしなければなりませんでした。私が山を去った次ぎの年には即転落事故で登山者がなくなりました。それ以来「不通」になっています。
それに引き換え水俣谷は針金の腐食はなかったのですが、「荒れ川」で修理した釣り橋も次ぎの年にはもう傾いていました。年々、天候が過激になり、多くの沢沿いが昔は想像できなかった位に、一年で様相を変えるようなゲリラ豪雨が頻発いています。
「旧きよき日」への願望も自然の営みにはかないません。
投稿: 元湯俣の住人 | 2006年10月10日 (火) 11:26