2008年12月22日 (月)

2008/12/20~21 八ヶ岳・赤岳ガイド

20081220_142 アイゼンやピッケルを本格的に使うのは初めてというお客様だったので初日はジョーゴ沢に入って適当なところでトレーニング。F1でアイスクライミングをやってる人がいたけど、氷が薄くてすぐ下でゴーゴーと流水音がしてた。陽が当ってるところではポカポカ陽気。
夕方から赤岳鉱泉でまた忘年会やりましたけど、何か?


20081221_8_2 翌日、朝の出発時点では晴れていた。でも気温が高めで風が強い。もしかしたらプラスの気温だったかもしれない。予報でも午後から急に崩れると言っていたので「時間勝負」と見ていたが、予定より出発が遅れてやや焦る。


Pc211589 出発して間もなく、あっという間に空一面が雲に覆われた。そして森林限界を越えると強風が吹きつけ、飛んでくる雪氷の粒が顔に当って痛い。目出帽出動。気温が低くないので全然寒くなかったのが救い。時折ビューっと吹き付ける風でヨロけながらも無事赤岳登頂。

20081221_7 下りは文三郎道。ここは特に問題なく、あっという間に行者小屋に着いた。そしてお客様の落し物探しを兼ねて再び赤岳鉱泉経由で美濃戸に下山。

冬の八ヶ岳らしからぬ暖かさで本格的な冬山とはいかなかったが、強風下での行動でちょっと刺激があったのでこれもまたいい経験になったと思う。

2008年12月14日 (日)

忘年会山行

20081213_4 12月とは思えない暖かな陽気の中乾徳山を登ってきた。扇平付近のあの素敵な茅が数ヶ月前の火事で焼けてしまっていた。そして頂上付近の日陰には残雪があり、それが凍っていて歩きづらかった。久しぶりに土の登山道を歩いたせいか、下りで足に来た。

下山していよいよお楽しみの忘年会。宿泊は徳和の民宿「山吹荘」。84歳のおばあちゃんが一人で切り盛りしている。不景気で暗い話題が多いので今夜ぐらいはそんなことを忘れて飲みまくろう!と飲んだら案の定翌朝死亡。起きた時は自分でも「おっ、そんなに残ってないじゃん。さすがウコンの力。」と爽やかに食堂に向ったのだが、朝食を食べ始める頃から具合が悪くなりだし、珍しく食べ残してしまった。その後はもう起きてるのが苦しくて、フラフラの状態で再び布団で横になり、お客さんは帰りたいのだが自分は起き上がれず結局11時頃まで宿に滞在してしまった。皆さんすいませんでした。

ほんとは徳和の部落を少し散歩したかったのだが、朝から雪。まあ晴れてても自分は死亡中だったのでとても散歩なんかできなかったが。

メインイベントが終わり、これで心置きなく年末が迎えられる。それにしてももうちょっと雪が降ってくれないと困るなあ。

2008年11月28日 (金)

2008/11/27 爺ケ岳南尾根(J.Pまで)ガイド

日帰りという条件で爺ケ岳に行ってきた。積雪のため柏原新道はもう通行できないのでケルン手前から冬期ルートの南尾根に入ったのだが、先日の連休の時に入ったトレースはその後の降雪でほとんど消えていてラッセルになった。そのため登りに時間がかかり、ジャンクションピークで時間切れになってしまった。しかし我々以外は誰もいない静かな山を満喫できた。翌日(今日)は浅間山の近くの黒斑山に行く予定だったが、朝から雨がじゃんじゃん降ってたので中止した。

20081127_9 登山口からちょっと行ったところで熊の足跡有り。まだ寝てないようだ。リンリンうるさい熊鈴は持ってなかったので、一応笛を鳴らした。






20081127_15 積雪はスノーシューを履いてくるぶしぐらい。時々スネぐらいまで潜った。やはりスノーシューは斜面が急になると苦しい。わかんの方が万能でいい。久しぶりに大汗かいた。






20081127_25ジャンクションピークより爺ケ岳南峰。積雪期はここでテントを張って1泊して次の日アタックというのが通例。ゴールデンウィークの頃などは夏の柏原新道より 早い時間で日帰り往復できることもある。


20081127_35ジャンクションピークより針ノ木岳。思ったより天気が良く、風がなければポカポカと暖かかった。



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種池山荘遠望。まだほとんど埋まってないように見える。

2008年11月25日 (火)

2008/11/22~24 立山B.Cガイド

20081115_23 誰もが歓喜の雄叫びをあげたくなるような初日、誰もが外に出たくなくなる2日目、誰もが朝起きて外見たら「えっ!?天気いいじゃん」と以外そうな声をあげる3日目。そんな3連休の立山であった。

立山は先週からの降雪で様子がまったく変わり、昨年ほどではないけどグッドコンディション。初日は室堂に着いて外に出たらほんとに誰もがいっきに気分が盛り上がった。はやる心を落ち着かせ、とりあえず雷鳥荘でチェックイン。不要な荷物を置いてノートラックの斜面めざしてハイクアップ。そしていよいよ1本目。あれ~、なんだかばらばらのぎこちない滑り。新車の板で初めて滑ったので全く感覚がわからず情けない滑りを披露してしまった。準指導員の資格をお持ちのお客様からも「足開いてどうしちゃったんですか。いつもと全然違う滑りでしたよ。」と言われる始末。その次はまあまあまともな滑りができたが。

2日目。予想していたが朝からガスガス。雪も降ってる。ゆっくり朝食後、ゆっくり準備をしてとりあえず外に出てみる。いっきにやる気ゼロ。それでもキャンプ場まで滑ってみようとドロップしたが、視界数メートルの中では斜面の様子や斜度がわからず、自分が動いてるのか止まってるのかもわからず、平衡感覚が狂って酔ったような感じになってしまう。全くスキーにならないのでビーコン探査を少しやって宿に帰る。昼過ぎに少し視界が良くなったので再び外に出て大走り方面の斜面に向うが、途中からまたガスが濃くなって風も出てきたのでちょっと滑って引き返す。その後はあきらめて酒。

3日目。最初の予報では最悪だったが、朝起きたら青空。前日と同じようにゆっくりと朝食に行ったらほとんどの人が食べ終わっていてうちらは最後の方。玄関では出かける準備の人達でごった返して殺気だっている。我々も雷鳥沢めざして最初の1本。うーん、やはり視界がいいと楽しい。当り前だが。雷鳥沢も気持ち良かった。やっと新車の特長を生かした納得の滑りができた。もう1本行きたいところだったが急速に雲行きが怪しくなってきたので早々に退散。立山祭り終了。

初日、扇沢で富山県警の山岳警備隊の人達がどやどやとトロリーバスに乗っていくので最初は「室堂の派出所に詰めるのかな。富山側の道路が通行止だからわざわざ長野県側から入るんだ。ご苦労さんだなあ。」と思っていたのだが、カラーのT川氏から「〇〇〇ア〇〇ン〇〇ーのお客さんが昨日から行方不明なんだって。室堂山荘合流のはずだったんだけど着いてないんだって。」という話しを聞き、そのために警備隊が室堂に向ったんだと納得。その後、室堂山荘から50mのところで凍死していたという情報が流れてくる。同じ白馬のガイド会社で、研修会などで一緒になったりして仲間意識のあるメンバーのお客さんだったということでなんともやりきれない気持ちになる。雷鳥荘のご主人曰く、21日の金曜日はすごい風と雪とガスで全くホワイトアウトだったそうだ。

2008年11月16日 (日)

2008/11/15~16 立山B.Cガイド

20081109 やはりまだ雪が少なかった~。滑れるところが限られていた。今日は朝から湿った雪が降っていて視界も不良。けっこうびちょびちょになってしまった。それでもまあ第一弾としてはまずまずだったと思う。今週は白馬でも雪マークが出ているので今度の連休の立山はバッチリかな?また相当混雑しそうだ。

2008年11月 4日 (火)

2008/11/01~03 黒戸尾根~甲斐駒・仙丈ガイド

20081102久しぶりの黒戸尾根。相変わらず信仰登山の名残が色濃く、歴史ある石碑や剣などが出迎えてくれた。天気も良く、涼しくて実に快適な登山であった。雪は五合目より下の刃渡り付近から現れ、七丈小屋から先はアイゼンを着けて登った。アイゼン無しでも登れたが、これから冬山も目指そうというお客様のトレーニングのつもりでアイゼンを装着してもらった。

2002年の同時期にもここを訪れているが、その時から変わった点があり、一つは五合目にあった小屋が完全に解体されてなくなっていたこと。2002年の時は傾いていたけどまだちゃんと建っていて、非常時や冬などには使えそうであった。もう一つは八合目御来迎場の石の鳥居が壊れて桁がなくなって柱だけが残っていたことである。雷がヒットした衝撃で壊れたのであろうか。

写真の石碑はその鳥居のすぐ脇にあるものだが、「大日大聖不動明王」と刻まれている。かなり大きな石だがこれはどうやって建てたのだろうか。とてもじゃないが人間が背負える重さではないし、かなり昔のものなのでヘリで運んだなんてことはあり得ないだろうし。とすればやはり石は現地調達で、その場で人間が彫ったのだろうか。こんな大きな石碑はあまりないが、小さいものは至るところにあり、昔の人の信仰パワーをひしひしと感じる。そう言えば2002年の時の記録に「今度は自分も石碑を担いで信仰登山しよう。」と書いたが、その後着々と準備を進め、そしていよいよ今回の登山の時にはその石碑を持っていこうと思っていたのだが、残念ながらもうちょっとというところで石碑の製作が間に合わなかった。というのはウソ。

2008年10月14日 (火)

2008/10/12~13 火打山・妙高山ガイド

200810120432 この日程は当初仙人池に行く予定だったがお客さん集まらず、代わりにこのプライベートガイドになった。実は先日の戸隠ガイドの後に一度計画していたのだが、その時は天気が悪くて中止になってしまった。しかしお客様がどうしても行きたいということで直前に決まった。

直前だったし3連休ということで完全予約制の高谷池ヒュッテに電話したら案の定「全くもって満員です。」と断られ、今回はテント泊になった。まあぎゅうぎゅう詰めの小屋よりテントの方が気楽でいいだろうと思ってテント場に着いて唖然。昼前だというのにテント場のスペースには既にぎっしりとテントが張られ、「ひぇ~、どこにも張るところないじゃん。」と焦りながら場所を探す。どうにか猫の額ほどのスペースを見つけて半ば強引に張る。都会の住宅地のように窓を開けるとすぐ手の届くところに隣の家の壁があるっていう感じで、テントとテントの間はほとんど隙間がなく、通行するのも一苦労。隣の声も筒抜け。誰かが数えたようだが、先着順30張と言われているテント場に、なんと60張ほどのテントがあったようだ。

翌朝はだいぶ冷え込んでテントのフライは真っ白。外に出しておいた水が半分凍っていた。山小屋だと混んでると部屋の中が暑くなったりするが、テントはいくら混雑してようと寒いものは寒い。しかし寒いけど天気は申し分ない。午前9時を過ぎると霜柱などが融け始め、登山道はグチャグチャにぬかるむ。これにはだいぶ参った。冬の丹沢を思い出した。

紅葉は上の方は終わりで中腹が見頃だった。

人と泥と紅葉の山行であった。

2008年10月 5日 (日)

2008/10/03~05 剣岳北方稜線ガイド

20081005_172 これ以上ないっていうぐらいのいい天気に恵まれた。実に快適な山行だった。池ノ平付近の紅葉もまずまず。9/26~27に降った雪もほとんど融けて全く問題なく、この時期の山は天候さえ良ければ涼しくて実に気持ちがいい。

北方稜線はペイントや道標などの目印がないが、この時期は踏み跡がはっきりと付いており、視界さえ良ければルートファインディングには苦労しない。(と思われる) それより一番大変だったのは3日目(今日)の下山だろうか。長くて嫌になった。

2008年9月30日 (火)

2008/09/28~29 戸隠山ガイド

20080929_12 蟻ノ戸渡り、剣ノ刃渡りの難所ではフィックスロープを張って通過した。無事に八方睨まで到達したところで雨が降り出し、ぎりぎりセーフ。以前、雨が降る中この難所を通過したことがあるが、その時は北鎌尾根よりジャンダルムよりどこよりも難しいと感じた。けれども岩が濡れてなければそれほどたいしたことはない。とは言っても両側は切り立ち、落ちれば間違いなく助からない。

こういうコースは大人数の団体で行くところではないよなあ。と思いながらガイドしている自分にとても矛盾を感じる。

2008年9月22日 (月)

2008/09/20~22 八ヶ岳・赤岳~横岳~硫黄岳ガイド

20080922_12 予定していた栂海新道は人数集まらず中止。代わりに八ヶ岳の仕事が入った。

台風が過ぎ去り、台風一過の青空のもと秋の爽やかな風に吹かれながら気持ちいい稜線歩きが楽しめるかと思ったがとんでもない。天気悪し。ほとんどカッパ着っぱなしー。展望もほとんどなしー。おまけに雷も鳴るしー。夕べは赤岳頂上小屋に泊ったのだが、夜中、ゴロゴロと雷が鳴り出したと思ったらいきなりストロボの百倍の明るさと同時にドカーンと至近距離に落雷。どうやらすぐそばの赤岳の頂上のどこかに落ちたらしい。地響きがした。これですっかり目が覚めてしまった。

翌朝(今朝)出発してすぐ、天望荘に向う急な下りで自分のすぐ後ろを歩いていたお客様がスリップしてごろんと一回転。そのさらに後ろのお客様の悲鳴でパッと振り返りとっさに止める。危なかった。止めなければそのまま加速度が付いて下まで転がって大惨事になってただろう。昨日からの歩き方を見て「この人アブナイ」とマークしてたので今日は最初から自分のすぐ後ろを歩かせたのが正解だった。以降横岳を通過するまでそのお客様にスリングを巻き付けて拘束。猿回しのごとく、囚人のごとくロープでつないで移動する。横岳の手前あたりから雨本降り。あーあって感じ。