初日はお客様のご希望により立山を縦走してから剣山荘へ。天気も良く、涼しくてとても快適に歩けた。2日目、やはりとても天気が良く、真夏のように暑い中「この陽気はなんなの?嵐の前の静けさ?」と言いながら汗だくになって仙人新道を上がる。予想通り、仙人池周辺や池の平では紅葉がまだ早かった。夜も満点の星空。行く前から8日は前線通過で天気が悪くなるのは覚悟していたが、「ほんとに明日天気悪くなるの?」というぐらいの星空だった。
22時頃(だったと思う)、突然雨の降る音が聞こえてきた。あの星空からいきなりの変化である。どんどんと激しくなり、風も伴って大雨が降り続いた。翌朝我々は停滞することを決めたが、3連休の最終日だったせいか大半のお客さんは出発していった。時間経過と共にあちこちで沢増水のため通行不能の情報が入り、「やっぱり行かなくて良かったわねー。」と話しながら食っちゃ寝、飲んじゃ寝という贅沢な時間を過ごした。
翌9日も相変わらず雨が降っていたが下山しなくてはならないので、一番安全なルートである剣沢~室堂を選択して下山を開始。二股まで下ってきたら沢の増水がだいぶ収まっていたのでハシゴ谷乗越~内蔵助平~黒四ダムに変更。内蔵助平まで下ってきたところで突然富山県警ヘリが飛んできて上空を旋回し始めたので「なんだなんだ?事故か?」と思って遭対無線を開局したら、なんとすぐ先で「上半身裸の状態の遺体発見。」とか言ってるではないか。そのうち収容袋にくるまれた御遺体がヘリに吊り下げられて搬送されていった。その後、自分達が内蔵助平の真砂分岐まで来たら泥だらけのおじさんが1人立っていて、ちょっと様子がおかしいので「どこから来たんですか?」って聞いたら「夕べビバークして今やっとここに出てきた。」と言うので、「先ほど収容された遭難者の同行者ですか?」と聞いたら違ったので、「後ほど県警の警備隊の人達がここに来るから相談してみて下さい。」と言っといた。怪我もなく、食料もあるようだったけど、ザックの中の装備が全て濡れて重く、バテバテだって言ってたので、もし警備隊が来る予定でなかったら自分が面倒見ることになってただろう。8日の内蔵助平の登山道は鉄砲水のように濁流が流れていたそうだ。
内蔵助ばかりでなく、唐松岳や蝶ケ岳方面でも事故があったようで、やはり10月8日は鬼門だった。
俺の庭、剣岳。今シーズン5回目。もはや寝ながらでも登れます。アルペンルートの扇沢-室堂の定期券が欲しいです。
紅葉が遅れ気味だが、辺りの草紅葉はちょうど見頃だった。5回目といえど、季節が変わればまた味わいも変わり、新鮮味も変わるもんだ。
先週金曜日(9/28)の午後、前線通過後急に気温が下がり、「もしかして上の方が白くなっちゃったか?」と心配したが大丈夫だった。しかし日曜日は夜明け頃から雨が降り出し、雨中の剣岳登頂となった。岩が濡れてフリクションが効かず、タテバイとかでお客さんが一瞬ツルっと滑るのを見て肝を冷やした。見てるこっちの方が怖い。危険なのでロープでビレーしながら慎重に行動する。下りはとても神経を遣った。その後もずーっと雨で、ロープ等の装備が濡れてザックが重くなり、室堂までが遠く感じた。
2009年ロードショーの「劔岳 点の記」の撮影が剣沢周辺で行われており、その撮影スタッフが剣山荘で寝泊りしていた。夜7時半頃、玄関脇で酒を飲んでいたらヘッドランプを点けたスタッフが疲れた様子で一斉に帰ってきて、玄関はなんだかザワザワした雰囲気に。俳優の香川照之もいたので、酔っ払った勢いで「よっ!」と手を上げたらニコっと笑って応えてくれた。嬉しかった。でもあまり覚えていない。
このコースは2日目、黒部湖に向って針ノ木谷を下るのだが、その肝心の2日目の天気予報が良くなかったので直前まで実施か中止か悩んだ。しかし「予報は悪いけど直前になってまた変るかもしれないのでとりあえず行ってみたい。」「3連休ヒマになるの嫌です。」というお客様からの声を頂戴し、実施決定。実際、蓋を開けてみれば何のことはない、なかなか良い天気。夕方、五色ケ原の手前で雨が降ってきて一時カッパを着ただけで済んだ。今回は完全に予報が外れてくれてラッキーだった。
針ノ木谷はちょっと水量が多めだったため、何回もある沢の渡渉に苦労した。普通の登山靴だったので基本的には飛び石伝いに渡渉するのだが、ジャンプに失敗して水の中にドボンと落ちて靴の中や下着まで濡らしてしまったお客様もいた。はっきり言って完全に沢登りのようである。最初から渓流シューズを履いていたら苦労も少ないだろう。
途中の船窪分岐から南沢出合にかけては、船窪小屋のご主人松沢さんのご尽力により昔のルートが整備され復活したため、ものすごく歩きやすくなった。これには松沢さんに敬意を払いたい。 http://www8.shinmai.co.jp/yama/2007/08/26_005805.html
台風9号が過ぎ去って台風一過の青空を期待していたが、そうは問屋がおろしてくれなかった。日曜日は下界では晴れてて暑かったようだが、山の上では終日ガスがかかって展望が全く得られなかった。写真も全く撮れなかった。
日曜日だったせいか東京方面からの日帰りの、しかも若い年齢層の登山者が目立った。50~70代の中高年登山者に目が慣れてしまっている自分にはとても新鮮で、今は9月だけど5月の爽やかな風が吹き抜けたような感じがした。
男子はだいたい小学生の高学年から中学生の時に声変わりするが、女子は人生の中年から高年にかけて声変わりするんだなあと最近しみじみ発見してしまった。声帯にどういう変化が起きているのだろうか。
29日夕方から降り始めた雨は翌朝になってもいっこうに収まらず、メンバーを考えると予定の奥穂~吊尾根~前穂~岳沢というルートはこの状況では危険ということで穂高岳山荘から涸沢に下る。そのまま普通に横尾に下れば良かったのだが、はるばる遠くから来られたお客様を「〇〇穂高」と名の付く山のどこにも登頂させてあげられず、このまま元来た道を帰るのは可哀想だという思いから欲を掻いてパノラマコースに行ってしまった。「ヤバイかな?」という予感・不安を抱えながらもなんとか慶応尾根を乗っ越し、奥又白の谷に下っていく。すると次第にゴォーという音が大きくなってきて不安は的中。「あぁ、やっぱり・・・」川が増水して渡れない。唯一一箇所だけ岩をジャンプして対岸に渡れるところがあったので、まず全員にスワミベルトを着け、最初に自分が渡り、次にロープを使って全員のザックを渡し、そしていよいよお客様。顔が青ざめている。躊躇しているとどんどん怖くなってしまうので、ロープを引っ張って有無を言わさずジャンプを促す。最初から50を過ぎたオバ様のジャンプ力(勇気)では届かないと思っていた(失礼!)のでジャンプと同時に強引にロープを引っ張る。下半身が水に浸かりながらも全員無事に対岸に渡ることができた。脱出成功。結果的にはなかなか刺激の強い山行になってしまった。